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情報の受信と発信 [日常]

 最近「情報」について考えていたところ、大変興味深いblogを偶然読みまして、
益々考えさせられることがありました。

blogの記事はこちら⇒http://shinka3.exblog.jp/1779707
先日よりミサイル問題でも紛糾している北朝鮮との外交について言及したもので、
去年の横田めぐみさんの遺骨問題を扱った記事でした。
私があの時、NEWSを観て認知したことと云えば・・・
 「北朝鮮から渡された遺骨をDNA鑑定したところ、1回目では鑑定結果は出なかったが、
  2回目に鑑定結果が出て、結果、横田めぐみさんのものではなかった」
と云うものでした。
しかし実際のところ、これだけの話しではなかったようなんですね。

そもそも北朝鮮から渡された遺骨は高温で火葬されていて、DNA鑑定が出来る状態では
なかった上、それが出来たところで、誰のDNAか判別出来ないものでしかなく、
「誰のDNAか分からない=横田めぐみさんの遺骨ではない」とは云えない・・・とのことなんですね。
・・・この記事を読んで、なんだか目の前が真っ暗になりました。
これって私が単に認識不足なだけだったのでしょうか?
大方の人が私と同じように、単純に「北朝鮮は適当な骨を渡してきた」と思ってるのでは
ないんでしょうか?
勿論その可能性もあるんですけど、その「可能性」だけで国としての発表をしてしまうものなのか~とショッキングにも程がある。
しかも隠蔽するかのように、鑑定結果をした帝京大学の職員を、1回目の鑑定結果で「鑑定不能」と
した「科学捜査研究所」に引き抜いてしまったと云うではないですか~。
そうなるとこの職員は公職についてしまったので私的な見解は公表出来ないとのこと。

必ずしも真実が、真実だけが公表される訳ではない、と云ういい例だと思いました。
無論私もこの情報を鵜呑みにしてしまえば、「北朝鮮は適当な骨を渡してきた」と認識していた
時と寸分変わらない状態ではあるので、情報を慎重に取捨選択しなければいけないのですが、
「云われてみれば・・・」と感じる内容だったので、なんだか非常に印象的な事柄でした。

先日AERAを読んだ時に「ウェブ進化論」という今年ベストセラーになった本の紹介が載っており、
昔はネットからの情報と云えば玉石混淆で殆どが石であったため、玉を選り分ける技術が
受け取り側に必要であったのが、最近では「google」などの検索エンジンが普及したため、
「玉」を手にする作業が極めて楽になった、という記事を読みまして、そういえば検索エンジンが
日本で普及したのってここ何年かの間だったなぁと今更ながら妙に納得したものですが、
それも本当に「玉」かどうかの判断はやはり未だに私たち「ヒト」に必要とされているものなんだ、
とこのblogのおかげで痛感しました。

最近仕事上、SEO(検索エンジン最適化)の勉強を多少していまして、検索エンジンで
上位に上がる方法などを調べていたのですが、「優良なサイトにリンクしているとそのサイトは
優良(=玉)である」という考え方があるそうで、これも「多くに支持されているサイト(=情報)」が「優良な情報(=玉)」である「可能性」は高いとしても、「多くに支持されている情報=優良=真実」ではないんでしょうね~。

悲しいかな。世の中の仕組み。
でも今までと違うのは、受信する側と発信する側が完全に分離された状態ではない、
ということだとstochinaiさんはおっしゃっていて、このコメントに勇気付けられました^^
受信すると同時に私たちは発信も出来る。
このことで、何か有益な情報を、心を重ねている人たちと交換し合えるはずだと
私は信じたいと思います。





能力 [日常]

 先日より最近mixiを見すぎだなぁと思っていたところ、ITmediaニュースで「mixi疲れ」なる
記事を読みまして、大変興味深いと思いました。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/21/news061.html

私がmixiを始めたのは半年くらい前で、友人から招待を受けて始めてみたところ、
2年ほど連絡を取っていなかった友人と偶然mixiで再会しまして、それ以来また親交を深めたので、
そのことにとても感動して「mixiって凄い!!」って心底思いました。
そこでmixiを始めなかったらもしかしたらもう会わなかったかもしれないし、
どこかで会っていたとしても、こんなにお互いの近況を話し合えなかったかもしれない。
mixiで再会して、実際に会ってみて、やっぱりこのこは友達だなぁと実感したのが、
やたらと嬉しかったのです。

その後、やはり何人かの友人と10年ぶりくらいにmixiで再会しまして、
実際にはまだ会ってない友人もいるんですけど、誰か知っている人を見つけるのが嬉しくて、
いろいろと探し回ったりしてました。

最近は仕事も落ち着いてきたので、ちょっと息抜きに見たりとかしていたら、
気がついたら矢鱈と見ていて、これって問題だなぁと自分でも思っていた訳です。

そんな時期に上の記事を読みまして、やっぱり同じまたはそれ以上に熱中している人が
いることに興味が湧きました。

(抜粋)
自分の日記にあしあとやコメントが付くと、周囲から認められたという「認知欲求」、自分を受け入れて欲しいという「親和欲求」が満たされ、それが快感になるという。好意を持っていたり、尊敬している相手からあしあとやコメントが付くと、さらに高い快感が得られるため、快感を求めて日記を更新し続けるという“中毒”症状につながる。

私はここまで熱中していないのですが、そうなる過程は想像出来るなぁとちょっとぞっとしました。
結局は「mixi疲れ」もコミュニケーション疲れってことだと思うので、そう珍しい話しではないの
だろうけど、大概が話題の振り方が一方通行なのでコミュニケーションとしては極めて
「楽」なんですよね。最初のうちは。
好きな話題だけ振ればいいし、自分の好きな面だけ見せていればいいし、
苦手な話題を振られて返答に窮することもなく、お互い気まずい思いもしない。
苦手な話題を相手が日記に書いても、コメントしたくなければしないで済んでしまうし、
返事が遅くても責められず、コメントしなくても誰も不思議に思ったりしない。
ここまではまともな「コミュニケーション」と呼べる代物ではないですよね。

だけど最初のうちはこれで済むんですけど、だんだん交流していくうちに
「コメントしなきゃいけない」という無言のルールが多分お互いの中に出来てきて、
苦手な話題にもコメントしなければいけなかったり、応酬がエスカレートしてきて、
たくさん答えなきゃいけなかったり・・・。
本来はこちらのほうがコミュニケーションと云うものなんでしょうけど、
それに無自覚でいるといつか「疲れ」が出てきてしまうでしょうね~。
無理している自分に無理が生じてくるというか。

ブログも形態としては同じですけど、mixiはマイミク機能がついてることで、
認知欲求と親和欲求が更に満たされるという傾向にあるようですね。
記事を読んでいて、なんだか小学校の時に女の子同士で、
「私たち友達よね」「ずっと友達でいようね」と云い合っていた子たちを思い出しました。
いや・・・別にいいんですけど。

コミュニケーション能力って本当、修練によるものだと思うので、
他者と繋がるきっかけは何でもいいとして、それに依存しては能力は伸びない、
とつくづく思いました。
気をつけようっと。


残念 [日常]

 私は一年くらい前から「水曜どうでしょう」と云う番組が好きです。
この番組はもともと北海道テレビ(HTV)でやっていたローカル番組で、
旅を中心とした、出演陣2人・ディレクター陣2人計4人での構成の非常に地味な番組です。

「旅」と云っても観光名所やおいしいお店を紹介する番組でもなく、
サイコロで次の行き先を決めるサイコロの旅(そのままですが)、
日本列島カブの旅、北海道212市町村カントリーサインの旅、
たまに海外に出て、オーストラリア縦断(車)やベトナム縦断(カブ)、
など大抵1週間くらいのスケジュールでやるので、ほとんどの映像が乗り物の中、
という目的だけ決まっている良く云えば自由な、悪く云えばいい加減な番組です。

最近はコンビニでもDVDが売り出されるくらい有名になったみたいですね。
私が好きになった頃も大分流行りだした頃ですけど。
今テレビ神奈川(TVK)と東京MXテレビでやっていて、私の住んでいる世田谷区は
両方見られる地区なんです。

本当にしょうもない番組なんですけど、面白いんです!
下らないなぁと思いつつ、つい見てしまう感じ。
出演は今売れ筋(…多分)の大泉洋と北海道では有名な鈴井貴之。

大泉洋はこの番組から全国区の俳優になり、「救命病棟24時」「小早川伸木の恋」と
ドラマ出演やバラエティーにも多く出演するようになり、
私は親戚の叔母さんのように「うんうん」とその活躍を温かく見守っていた訳なのです。
そして、その大泉洋が今度、ドラマ初主演するというので心の中ではじみ~に
「うわぁ!すごい!やったやった!!」と喜んでいました。

で。ここまで来て何が云いたいか、というと、そのドラマがなんと!!
放送延期になってしまったんです!!!
あの極楽とんぼの山本の事件のことで。
しかもお蔵入りになる可能性もあるとのことで、もうね、かなりショックが大きいんです…。

興味ないようなふりをしながら(別にそんなことする必要もないけど)、
ちらちらとチェックしてたんですよ。いつだろいつだろってね。
どんな演技するんだろ。ちゃんと出来るのかな。大丈夫かな。
なんて感じで勝手にどきどきしてたのに・・・なのに。

番組をこのまま放映することが出来ないのは理解出来ますし、
鉄ちゃんがGGを解散するって発表したのも理解出来ます。
でもね・・・あんまりにあんまりです・・・。

洋ちゃん、どうしてるんだろう・・・。


後見 [日常]

私を待っている彩り 私が待っている彩り そして 私の持っている彩り

 最近お気に入りのお着物です。
母から譲り受けた着物で、いつもこの鮮やかな山吹に励まされます。

木曜は着付けの日。
今日は名古屋帯で締める「後見結び」という格式高い帯結びです。
なんだかね、出来たような出来なかったような・・・。

これが「後見結び」          前から見ても分からないところが帯の素敵さ

やっと自分でも割と綺麗に着られるようになってきたところです。
ただね、着るだけなら1ヵ月くらいで着られるようになるんですけど、
綺麗に着るっていうのはなかなか。
でも着物でお出掛けは世界が変わります。
最近の外出は専ら着物。

秋になったらお着物で旅にでも行きましょうか。
ねぇ。



受取 [日常]

 mixiで流行っているバトン。
誰が何のために始めたのか知らないけど、面白いこと考える人いますよね。
私はこういうのはしちめんどくさい方。
でもあんまり面倒くさいって云うなって友人から怒られるので、
(まぁ怒ってくれる友人がいるって云うのはいいことですね)
たまにはやろうかなと。

〔指定型★バトン〕のルール
●廻してくれた人から貰った『指定』を『』の中に入れて答える。
●また廻す時、その人にお題を指定する。

中学来の友人ガッチョくんから頂いたお題は『千葉マリン』だって。
私語るほどマリーンズ詳しくないけどね。
でも離れた土地ほど後から愛着が沸くものはないですよね。

◆ 最近思う『千葉マリン』は?

強くなりましたよね。
こう云っては怒られるだろうけど、私が一番応援していた時期はファンは負け慣れてましたから、
最近勝ったりすると妙な気分になります。
でも私が観に行くと何故か・・・。

◆ この『千葉マリン』には感動!!!!

あんなに弱かったチームが優勝争いに食い込むチームに育ったこと!育ったこと!
ファンとね、一緒に大きくなってるんですよ。マリーンズは。
王者は奢らず勝ち進むんです。

◆ 直感的『千葉マリン』

思い出。

◆ 好きな『千葉マリン』

必ず外野で応援。
皆で喜び皆で悔しむ。

◆ こんな『千葉マリン』は嫌だ!

ホームが川崎に戻り「川崎マリン」に。

◆ この世に『千葉マリン』がなかったら・・・

それはそれで・・・。
ところで今更気が付いたけど、お題の「千葉マリン」って球場のこと?
もう考え直すの面倒くさい(って結局云っちゃう)からいいや。

◆ 次に回す人(『指定』つきで)

じゃああっぷるさん『あっぷる』でお願いします。

今度8月2日(水)にマリンスタジアムまでロッテVS西武戦を観に行きます。
これで負けたら、今シーズンはもう観に行かない。
今年も優勝して欲しいから。


天幕 [日常]

 天幕のかぎざぎ 残るるは遥かな日々



放棄 [日常]

 今日はお休みをもらったのに、仕事が気になって結局午後から出社。
ただの午前休になってしまった。
そうしてしまった理由は分かっている。
他にやらなきゃいけないと思っていることが何点かあるのに、
それを放棄したいがために仕事に逃げただけなのだ。
やらなきゃいけないことが「出来ない」理由づけのために、自分を正当化しただけ。
そろそろ自分と時間と向き合わないとね。


最近 [日常]

 最近言葉が出てこない。
 夏は昔から苦手。
 思考が停止する。
 食事を摂るのも億劫。
 早く冬にならないかなぁ・・・。


成功 [日常]

 片手間にダイエットをしていたら成功しているようです。
1月前からやったりやらなかったりを繰り返していたのですが、
最近は夜にわんたんなどを食べて、朝きちんと白飯に味噌汁のご飯に切り替えたら、
これが功を奏したのか3kg減りました。
効果覿面。

でも食事を減らしてたから貧血になったのもあるのかも知れませんね。
こないだ貧血があまりに酷かった時にレバニラを連続して食べていたら、
急に食べ過ぎたからかお腹を壊しました。
バランスってムズカシイ!

理想体重には届いたので、もうちょっと食事に気を使う生活をしてみようかな。
てつてつてつ。


同調 [日常]

 先日とても同調した話し。

私の友人に熱烈なサッカーマニアがいます。
そういえばその人と話をしていて気が付いたけど、マニアは「サッカー」と呼ばず、
「フットボール」といいますね。
「フットボール」自体は「アメリカンフットボール」などを含めた他のスポーツ種の総称ですが、
一般的には「フットボール」と云えば「サッカー」を指すようです。
でもアメリカやオーストラリア、日本も含め、いわゆるアメリカ圏では他のフットボール種が
盛んなため、呼び分けて「サッカー」と呼ぶそうです。
その友人は当然フットボールと呼びます。

その友人が先日W杯の日本戦を観ていて、中村俊輔の表情に腹が立ったそうです。
俊輔がシュートを決めた時に、三都主の体に当たって得点出来なかった時があったのですが、
その瞬間、「なんでお前はそこにいるんだよ」とでも云うような表情を浮かべたようなんです。
本人が本当にそんなことを思っていたのかは無論分かりません。
でも、もし本当にそんなことを思っていたとしたら許せないと。
そんなのは「チーム」ではないと。
その友人は語っていました。
しかも今までも「自分がうまくなりたい」という気持ちが強い選手だと思っていた時に、
その表情を見て、「あぁやっぱりそういう選手だ」と思ったそうなんです。

これってなんだかすごくよく分かるなぁと思ったんです。
中村俊輔がどういう選手か私は試合を多く見ていないので、判断材料がありませんが、
そう思う友人の気持ち自体にとても同調したんですね。
組織であれば他の人間の足りない箇所を補いあってこその組織であって、
他の人間のミスや不足を責めたりする人は信用出来ないと思うのです。
口にするのは以ての外、ちらっとでも思ったとしてもそれを「表情」に出しちゃ駄目なんですよね。
もしそれが違うことを思っての「表情」だとしても、そんなことを思われること自体が
駄目だと思いますよ。
どれだけピッチ上で辛い思いをしていると思ってるんだ!と責められたとしても、
私は「組織」ってそういうことだと思ってます。
私だって仕事を持っているし、辛い仕事だから許される許されないの話しではないと思うんですね。

私は中村俊輔について議論する気はないのですが、
その友人の気持ちはとても理解出来るなぁと思いました。
全てにおいて組織を優先することが正しいことではもちろんないけれど。
個人の生き方や、誇りや、感情を抱えて行動する限り、
その考え方に反した行動をしてしまうことは誰しもあります。
だから必ずしもそういう行動を取った人間を責められない気持ちはある。
自分もそういう行動が必ずしも取れてないしね。残念ながら。
でも自分の意見を問われれば、いつでもそう答えられる人間でありたい。
そうして自分の行動を振り返らないと、人間進歩がないですよねぇ。




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