象徴 [日常]
友達の赤ちゃんを見てきました。
中学の時の友達なのでなんだか感慨もひとしおで、奇妙なような気もします。
初めて出会ってから13年も経って、こうして未だに会い続けられたことも奇跡だし、
これからも大事な縁であることは間違いないです。
私たちはとても許された「仲間」である友人関係だと思っています。
14歳の当時から「友達」というよりは「仲間」という方がしっくり来ました。
この13年間会っていない時間の方がもちろん多くて、年に1回会うか会わないか・・・。
その会っていない時間、彼ら彼女らが何をしてきたか、殆ど聞き合いません。
私たちはお互いが、無事に元気で暮らしていることを確かめ合うのです。
会わなくても平気。会えば嬉しいという感覚。
会うことを誰も強いらないし、束縛もしない。
「私」という存在をただ認めてくれるのです。
そして私も、「彼」の存在を認め、「彼女」の存在を認めるのです。
許されている。
この感覚は生きていくために絶対必要な感覚だと思っています。
私たちはお互いの欠点を出し合い、慰めあい、それもひとつの個性よね?
とお互いを許し合ってきました。
それは言葉で出し合わず、流石に長い付き合いの照れもあり、
それでもみんなちゃんと分かっている感覚なのです。
そんな友達が赤ちゃんを産んだのです!
こうして赤ちゃんが生まれ、これからその赤ちゃんのイベントがある度に、
私たちはその子の家族のように祝福することでしょう。
だって私たちの付き合いは、これからもきっと続いていくのだから。
まだ生まれて2ヶ月半しか経っていないあんな小さな小さな赤ちゃんを見たのは初めてで、
だっこするのも本当に恐くて、みんながすごくすごく大事に扱う姿を見て、
なんだか涙が出そうでした。
私はあなたが大事よ。
その思いだけで抱かれる赤ちゃん。
まさに幸福の象徴ですね。
PEACE。
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