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My Birthday [日常]

Happy Birthday to ME !
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今日は私の32歳の誕生日でした。
お正月休み明けからずっと連続して働いていたので、自分へのご褒美のために何年かぶりに
リンパマッサージに吉祥寺に行って来ました~。

自分も一時期マッサージのお仕事やってたくらいマッサージは大好きですが、
自分で出来るようになってからはほとんど行かなくなり、今日はホント久しぶり。
私のお気に入りの吉祥寺のリンパマッサージ・STREAMの90分コースと初フェイシャルコースです。

本当は当初の予定では金沢か伊勢に旅行に行こうと、夜行バスの予約をしようと思ってました。
ただ今年の目標を「女子力をあげること」にしてしまったため、旅かエステか悩んでいたところ、
友達より女子はそもそもその二択ではないと云われ、目標遂行のためリンパに行きました。

でも結果としてリンパに行って良かったです。久しぶりにすごぉくリラックス出来ました。
マッサージのあとはふらりと散歩していたら、さとうの前にすごい行列!これも久しぶり!

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せっかくだから並びました。イヒ。
ここはメンチカツで有名な「さとう」です。お隣は羊羹で有名な小さざ。

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母が昨日テレビでここのメンチカツを見たとのことで、出掛けにお土産をおねだりされたので、
合計5個購入。揚げたてじゃなきゃ、おいしさ半減だけどね。

その後は吉祥寺に勤めていた頃によく行ったスパゲティ屋さん・ピノキオで遅めのランチを。

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しばらく井の頭公園をぐるぐる散歩したり、当時お気に入りだったお店に足を運んだりして、
ちょっと疲れたので公園にあるカフェ「PEPACAFE FOREST」でお茶しました。

ローズヒップティーにするかシンハービール(大好き)にするか悩んで、
女子力のことを考えてローズヒップに(笑)。
最近迷った時の判断基準が「女子力高そうな方」という基準が出来て、結構楽かも。


カフェで本を読んだりうとうとしたりして、とってもまーったりな時間でした。

そんな風に過ごしていたら、あーここ1ヶ月どれだけ肩に力入れて過ごしてたんだろう、
ということに気がつきました。
私のお仕事は1月から3月が繁忙期で忙しいことは覚悟してたんですが、
マネージャーになってからは初めてのシーズンで、かなり気合入れて仕事してました。

仕事するのは好きだし、今の仕事もやりがいがあって面白いのですが、
一日中人と接する仕事なので結構気を使うし喋り疲れます。
本来の私の性格って人見知りで面倒くさがりなので、余計だと思います(笑)。

愛想良くしたり社交的にふるまったり、前から自分で気をつけたりしてたし、
この仕事始めて板についてきたところも大きいけど、そんなのはペルソナで、
本当は静かに過ごすのが好きなんだよなぁ、とカフェの穏やかな喧騒の中、考えてました。
心行くまで本を読んだり、ぼんやりしていた1日でした。

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ここにはコルビジェのソファがあるんだよ。

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A Happy New Year from Baden [旅]

A Happy New Year 2011
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Ave verum corpus natum de Maria Virgine.
Vere passum immolatum in cruce pro homine;
cujus latus perforatum fluxit aqua et sanguine.
Esto nobis praegustatum mortis in examine.


今年もどうぞよろしくお願いします~。
去年をゆっくり振り返る時間もなく新年に入ってしまったので、外では除夜の鐘がまだ鳴っていても
なんだか新しい年になった感じがあまりしてません。

今年の年越しはお風呂で本を読んでて明けてしまった・・・。
しかも読んでた本がサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だなんて!
いや、この本は確かにいい本だけど、新年を迎える本としてはいかがなものかと。
でももう迎えてしまったものはしょうがない。
今年一年、ホールデンの反骨心を忘れず過ごそうっと。

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写真は一昨年(もう一昨年!!)に行ったオーストリアのBadenという街。
一昨年に行った旅行記がまだ完成出来ずにいますが、思い出した時に載せてしまいます。
ウィーンから車で1、2時間くらいの場所で、とっても小さな街でした。
ここはモーツアルトが「Ave verum corpus」を作曲した街なのです。

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去年自分がしたことの中で意義のあったことの中のひとつとして、
「Ave verum corpus」を弾いたことがあげられます。
普段オーケストラで弾いてると、なかなか自分ひとりの音を磨く時間が取れなかったりするのですが、
この経験は実にためになりました。
20年近い付き合いになるピアノの友達とアンサンブル、というのも楽しかった。

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仕事の面で、マネージャーという役職を頂いて、スクールのマネージメントをするという作業も、
これも非常に楽しかった。もちろん、まだ続けるつもりでおりますが、少し思案中。
ドラッガーの「マネジメント」に出会えたのも去年の大収穫でした。
今年は多分、自分の「仕事」の分岐点となる年になると思います。

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今年は去年よりももっともーっと実行の年にします~。
私の大好きなアインシュタインの言葉のように!


Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.
Albert Einstein

失敗をしたことがない人というのは、何も新しいことに挑戦したことがない人のことだ。

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I want to wish you all the best for the year 2011.
I hope all your wishes and dreams come true.
Love,pocoXXX

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ノルウェイのクリスマス [映画]

Merry Christmas !!
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I hope you all have a wonderful day, and I hope you spend it with your close friends and family.
Have a great one!!

私は「ノルウェイの森」を観てきました。

あの本を題材にしていて、誰の内面も描かなかったトライ・アン・ユン監督はすごいです。
私は最初、なんて悪意に満ちた映画なんだろうと思って観ていました。
でもそうではなく、あの映画はあの本からみんなの欲望だけを集めて作った映画なんです。
そして20歳前後の特有のどうしようもない傲慢さ、透明さ、それと絶望。

一番すごいと思ったのは直子が渡辺くんに叫ぶシーン。

「なぜわからないの?あなたの存在が私を苦しめるのよ!」

これは、小説の中で直子が渡辺くんに云えなかったと、私がずっと思ってきた台詞。
本にはない台詞です。
直子は渡辺くんを心から必要としていながら、上のように思っているはずと私も思っていました。
けれど、これが渡辺くんに云えたら、直子は死ななかったと思います。

でもそれと同時に、直子がこの台詞を発した時点で、この映画は小説を離れた一つの作品として、
確立されたように思います。

ご存知のように、これはただの私の解釈です。
この映画がどうだったか?と聞かれたら、間違いなくくそです。
それは観る前から分かっていたこと。
でも、いい映画でした。

では良いお年を!!

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旅順・大連旅行 [旅]

旅順駅
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最近は仕事にはまっていました。
今の仕事を始めてとうとう3年経ち、仕事の流れも見に付いて、これが本当に面白い。
やっぱり仕事は3年目からが面白いですね。

けれど上司が消息不明になったり、会社の中でいろいろあったりして大変忙しいですが、
まぁ、問題は誰もが抱えているのでそう悲観的になることもないかと思って、なんとかやってます。

でもやっぱり秋からの仕事熱は異常かも、とちょっと自分で冷静になるために、
あとはそろそろ旅不足になってきて、先日中国に行って参りました。

初中国!初社会主義圏!
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旅順港

今NHKでやっている『坂の上の雲』で丁度舞台になっている旅順。
日清・日露戦争の舞台となったところなので、見所はほとんど戦地です。

203高地
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上の写真は203高地攻防戦のなかでも日本軍が6000人にも上る戦死者を出した「東鶏冠山」の
ロシア軍の堡塁跡。今でも壁には銃弾の跡がそのまま残っていて、結構生々しい。

水師営会見所
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1905年1月15日に、旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結された場所です。
日本代表は第三軍司令官・乃木希典大将。
ロシア代表は旅順要塞司令官・アナトーリイ・ステッセリ中将。

明治文学好きには非常に興味のある人物、乃木大将。うむうむ。


今回10年ぶりくらいにツアーで行ったのですが・・・なんだか快適すぎて、物足りなかった。
私にとって旅とは不自由を感じるためのものなんです~。
日本語の堪能な現地ガイドがいて、バスで移動して、食べるものも行くところも決まってて、
全てオーガナイズされたものに乗っかるってのは、どーも調子が狂ってしまいます。

それでもこの旅の最大の魅力はなんといっても安い!ことでした。
飛行機代、ホテル代、全食事付きで25000円ってどういうこと?!価格破壊にもほどが!
どー計算しても計算合わないんですけど!!(笑)

それと旅順は今でも軍事施設があるため、観光地として開放されたのは割と最近なので、
個人旅行でうろうろ写真撮ったりしてると、捕まるそうです・・・。
なのでツアーで行く方が安全。

川島芳子が結婚式をあげた大和ホテル     
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旅順の町並み
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私としてはこのへんの街歩きが一番興味深かったかも。
しかし外があまりにも寒くて、私ともう1人くらいしかバスの外に降りなかった。
なんか全体的にやる気を感じないツアーで、それはそれで面白かったです。
みんなちょーダラダラしてたけど、なんだったの?あのツアー(笑)。

しかも同じツアーの団体客が茨城出身のおじ様達で、よく話しかけてくれるのですが、
はっきりいって何を云ってるか全然聞き取れなかったのには衝撃!隣の県なのに!


旅順も大連もロシアが統治していたため、ロシア人が作った街なので、
ところどころにヨーロッパ風の建物があって、それなりに雰囲気があります。

旧満鉄本社
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中山広場の大和ホテルと銀行
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ちなみに中山広場の「中山」は孫文の号だそうで、中国人は尊敬の念を込めて孫文のことを
「孫中山先生」と呼ぶそうな。


大連駅は上野駅のコピーでびっくりした!
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泊まったホテルは大連駅のすぐ隣だったので、ホテルの最上階から望む駅周辺。
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至る所で建設ラッシュなんだけど、誰も入ってないビルがたくさんあって、
どーして彼らにそんなに新しいビルが必要なのか、さっぱり分からなかった。

今回、これぞ中国!と一番思ったのが、空港で帰りの飛行機を待っている時に、
カフェでジャスミン茶を頼んだら、お茶をこさないでカップが出てきました。
うわずみを飲まなきゃいけないので、最初は頑張って飲んでたのですが
やっぱりどーも飲みづらいので、カウンターに行ってカウンターのスプーンに手を伸ばしたら、
店員がすぐ隣にあったスティックのお砂糖を、スゴイ勢いで奪ったのに非常にびっくりしたと同時に、
それまで食事の度にテーブルに塩胡椒や醤油がないのを不思議に思っていたけど、
その理由がはっきりと分かりました。

盗まれるからか!!!!!

面白い国です、中国。次は是非、北京に。

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約束から考える日・英・韓 [日常]

これは傾向としての国民性の話し、ということをまず強調しておきたい。
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(横浜・赤レンガ倉庫)

普段イギリス人と仕事をしていて、時々疲れるなぁと思うことは、
会社のルールに関係なく主張する人が多い、ということがある。

こんなスケジュールでは忙しすぎる、もっと自分の仕事を減らせ、
と平気で上司に云ったりするのでビックリする。
同僚の私にならまだしも、上司にわざわざ電話かけて不平を云っている姿を見ると、
いい加減慣れたとは云え、未だに目が点になる時がある。
遅刻をしてもあまり気にしてない様子。
頻繁に遅刻をしたところで、上司もあまり問題視してるように見えない。

もちろん、私の会社の傾向であるだけかも知れない。
でも多分「雇用者」と「従事者」の関係の考え方の違いが、理由のひとつとして
あげられるような気がする。

私の仕事はシフト制の仕事なので、上が決めた曜日に働くのが私には「普通」のことだと
思うのだけれど、何気なく「いやー私が決められないし。」とイギリス人の同僚に話をしたら、
「それは全くもってフェアじゃないわね!」と私のために怒ってくれていた。
それを見て「あーそうか。フェアにすべきという考え方なのか。」と思った。

イギリスに行った時に郵便局が部署ごとにストを起こしていて、全部で2週間くらいまるで
郵便が出せなかった時もスゴイ国だなぁと思ったけど、
従事者の立場は日本の会社の比にならないくらい強いのだろう。

私にはそもそも「フェア」だという感覚がなかったけれど、確かにそういう感覚を持っていれば、
会社に主張くらいするのはなんともないだろう。
そしてその主張を受け入れるかどうかは別として、主張を受け取る度量があるのは、
いいところなのかも知れない。

郵便局が全く機能してなかった時も、実際困った人はたくさんいたはずだけど、
それについて「無責任だ!」「損害をこれだけ被った!」とかいう声はまるで聞かなかった。
そういうことに対しての主張がないのは素晴らしいようにも思う。
自分が主張はする分、他人の主張にも寛容といった感じ。

でもやっぱり時々「そんなに嫌なら辞めちまえ!」と思わなくもない。
会社のルールに則ってスケジュールを組んでいるのに、個人的理由で断られても
なんだかなぁ、と思う時もある。
あんたに断る権利はないぞ、と思っても、それは向こうも充分よく分かっている。
分かっていて主張しているのだ。
もし私がどうしても通したいことだったら、私も主張しなきゃいけない。
・・・時々、疲れる。

しかも「絶対」と云っていたことが結構、覆ることが多っかたりする。
あたかも「絶対」なんて云ったつもりはないかのような話しぶり。
それは仕事上でも、プライベート上でも同じ。
イギリス人に期待をしてはいけない、というのが私の会社で得た教訓であった。

しかし、そのことについて改めて考えさせられたことが最近あった。

ブリストルに行った時に同じクラスだった韓国人の友達が、我が家へ遊びに来た。
JALでイギリスへ行ったらしく、東京経由でソウルへ帰るとのこと。

Facebookでチャットしたりメールしたりして、待ち合わせ場所やら観光場所は事前に決めていた。
イギリスにいた時から日本に行ったらディズニーに行きたい、と行っていたので、
2人でいくのもなんなので、イギリス人の友達を誘ってその彼女と4人でシーに行くことにした。
友達もその話しには大乗り気・・・のように見えたので、プラン立てて良かった、と思っていたら、

「暑いし高いし時差ボケがあるから行かない」

というメールが3日前に来た。・・・なんと?!
私だけならいいとして、別の友達に前々からその日を空けておいてもらったり、
チケットをどうするか話したりしていただけに、そんな直前に断られたことにビックリした。
でも、行かないというのならしょうがない。
一緒にいくはずだった友達にはどうやら体調が悪いということにして、平謝りして断った。

しかし結局その韓国人の友達とは本人の希望で横浜の花火大会に出掛けたので、
別にシーくらい行けたのでは、と思う。
多分、急に気が変わっただけのようだ。

そしてある理由があってその友達は一週間後にもう一度、日本に来ているが、
その滞在期間に必ず電話する、と云っていた割りに一度もなかった。

これは大いに笑った。なんだそりゃ!と。

面白かったのでこのことをネタに何人かの人に話しをしたところ、どーやら韓国人は、

「実際に出来るかどうかは別としてこうしたいと思ったことにでも断言してしまう、
傾向がある。」

ということを知人に教えてもらった。
それを聞いて「なるほど!」と思った。

この経験を経て「やっぱりね~約束を律儀に守るのは日本人だけだよ」と簡単に結論して
しまうところだったけれど、もうちょっと深く考えてみると、なんで日本人はそんなに「約束」に
こだわるのか、と云えなくもない。

もちろん、約束は守った方がいい。
英語にも韓国語にも「約束」という言葉は当然あるし、「約束」の概念も同じものだ。
でもそもそも「約束」に対する考え方が、異なっているような気がしてならない。
こちらは「約束」と思っていることも、向こうはそう思ってないような、そんな感じ。

これって日本人からすると、どこからがちゃんとした約束で、どこからがちゃんとしてない約束か、
全然判断出来ない~と思っちゃう。
でも多分境界線は、ない。
「その時はそう思っていた」と素直に受け止めるしかない。
社交辞令を鵜呑みにしてはいけない、とかそういう話しでもない。

ともかく、約束の遵守の有無は彼らの人間関係にひびを入れず、
きっと彼ら的にはとても細かい話しなのだと思う。

しかし、イギリス人も韓国人も世界的にはとても真面目な国民性を持っている。
イギリス人のフェアプレイの精神は本当に素晴らしいし、
韓国人の勤勉さにはとても頭が上がらない。

なので約束と真面目さが結びついているのは、ほぼ日本だけ、という気がする。

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結局私は一度約束した予定を断ることがどーも出来ず、
また一度決めたディズニーシーに行くという自分の中の役に立たない目標を果たすため、
イギリス人カップルと私、と云う微妙な3人で、エライ猛暑の中シーに行った・・・。
そのイギリス人の友達は日本人でもびっくりするくらい律儀な性格で、
職場では少々浮いているような気がする(笑)

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「韓国に着いたら韓国の特産品を送るよ!」と韓国人の友達は日本を経つ時云っていたが、
それは果たして果たされるのか、しばらく楽しみである。わくわく。

ちなみに韓国語も約束は「ヤクソク」という。

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夏は太宰を読む [日常]

宮澤賢治と夏目漱石、そして太宰治を心から愛していた10代の頃の私は、
自分が女であることを激しく呪っていた。

当時、女流作家の作品は感情的で好ましくない、と私は思っていて、
紫式部と長野まゆみ以外は、全て男性作家の小説しか読まなかった。

男であればこんなに綺麗な文章が書けるのではないか、と
谷崎潤一郎や泉鏡花の文章をうっとりしながら読んでいた。

しかし、そうした憧憬を持ち続けることを、私の自尊心が許さなかった。
男でありたかったと思うこと、それ自体が自己否定に繋がることに思い当たり、
途端にそう願う自分を口惜しく思い始めた。

そうして私はある日突然、女性らしくなろうと決意した。
女性らしい格好をして、女性らしく振舞おうとした。
そうしていた期間が何年かあった。

しかし、しばらくすると飽きた。

そんなことをしなくても私は実に女だと実感もしたし、
女であれ、と努めていることそのものが、男でありたい、
という感情の裏返しであることにようやく気がついた。

実につまらん、と私は飽きた。

そうして、初めて私は「女」である自分を受け入れた。


しかし、そうした過去の努力の甲斐もなく、またはそれが本来の我が姿か、
私には女子的嗜好要素が薄いような気が最近、している。

綺麗なホテルに泊まりたいとか(ゲストハウスで充分)、
ショッピングをしまくりたいとか(物が増えるのがイヤ)、
美味しいスイーツを食べたいとか(お酒の方が・・・)、
そういった欲望がまるで、ない。

ということに先日同僚や知人たちと旅行計画を立てていて、実に実感した。
マジでピンチだった。
ヤバイ。明らかに浮きそうな気配。
危険を察知した私は、逃げた。
普段「ガンガンいこうぜ」にしているコマンドを「いのちだいじに」に素早く切り替えた。

私には一緒に退職する女性同士の気持ちや、注文するものを全員に聞く女性の気持ちは、
一生分からない気がする。

いや、でも私の中にももちろん女々しさとかおばちゃん的なところとか、
女っぽい要素はたくさんあるのだけど、なんというか嗜好は、嗜好だけは突出して、
いつの間にか標準規格から大いにずれてしまっていないだろうか。

・・・といことをエビスを飲みながら太宰を読んでいたら、無性に気になり始めたので、
書いてみた。
今年の目標を「囲碁を覚える」から「料理」とか「ビーズ」とかに切り替えようかと悩んでみる。

でもやっぱり、ピースは綾部より又吉が好きだ。
太宰ナイトは来年こそ行きたい。

そしてそんなことより、
私の大好きな飲み屋、御徒町の壱が2010年7月23日(金)をもって閉店しました。
ここで飲んだ黒糖焼酎の数は数知れず。
たくさんのおいしいご飯をありがとう。
またの再会・再開を楽しみにしてます。

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明日は名古屋に行ってきます。

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近況報告 [日常]

こんにちはー。気がついたら前から3ヶ月経過していました。
まるで時間がなかった訳でもないだろうに、何だかとても忙しく過ごしておりました~。
自分の整理のためにも、近況報告します。


C 職場が変わりました。転職した訳ではないのですが、異動になりました。
  そしてあろうことか職場の責任者になってしまった・・・。マネージャーってものに。
  そう言うと大抵の人に「おめでとう」と言われますが、決しておめでたくはないような
  異動でして・・・。
  
  前のマネージャーさんが上司と喧嘩して職を降りて、そこに配属になったので、
  長くマネージャーをやっていたその人と一緒に仕事をしつつ、自分が采配を振らなきゃ
  いけないという決していい環境とは言えるものではなく、結構気を使います。

  でも仕事なので別に友達作りに会社に行っている訳ではないし、そういうのは相手が
  どう動くかより自分がどう動くかが大事だと思ってるので、あまり気にしないようには
  してます。多分気を使って仕事してるのは相手も一緒だし。
  というかよく考えたら私そんなに気がまわるタイプじゃないから、かなり気を使ってくれてるかも。
  でも自分に出来ることをするしかないから、しょうがないか。
  なるべくその人より先回りして仕事するよう心掛けてますが、よく抜けます。
  毎日その人との戦いです(笑)。負けるもんか!

D 私は今ろくに英語も喋れないのに英会話スクールで働いていて、私のいるスクールは
  それなりの規模のスクールなので、定期的に生徒さんを集めてイベントをしなければいけません。
  今回のイベントはワールドカップ。イギリス人講師の発案です。
  
  イギリス人というのは本当にフットボールが大好き。
  サッカーはアメリカ英語なので、イギリスではフットボールと呼ぶそうで、サッカーと云うと
  しつこいくらい訂正されます。本当に何度も。そして誰も彼も。
  
  スクールを盛り上げようとワールドカップのリーグ表を作ってスクールに張り出すと、
  その表の前で何人ものイギリス人がわらわらと群がり、誰かが予想してそれについて討論
  したり、何年のあの時の試合がどうした、あの時の雪辱がどうの、以前あそことは戦争してる
  からこの組み合わせは非常に危険だの、どーのこーのどーのこの、
  もう・・・うるさいんですけど(笑)。
  生徒さんにスコア予想などをしてもらおうと、選手名鑑を買ってスクールに置いておいたら、
  休憩の度に講師がそれをしきりに眺めていて、仕事にならない・・・。
  そんなことしてないで、次のレッスンの準備しなさーい。
  
  しかし私もそんな空気に感化されつつ、スクール近くのバーを予約して、今度の
  日本対オランダ戦をみんなで見るので、しきりに毎日ワールドカップの話しをしていたら、
  それなりに日々詳しくなっています。
  みんなにそのイベントに来てもらおうと一生懸命話すために、毎日出来るだけ試合を見て、
  11日からワールドカップの新聞記事を全部切り抜いてノートに貼り付けて読んでいたら、
  興味なくても結構覚えるものですね~。

  何日のどことどこの試合があるか全部資料を集めてあるので、講師も生徒さんもみんなが
  私に試合の日程を聞きに来ます。
  「ぽこぺさんって本当にサッカー好きなのね~。」
  なんてみんなに云われて、「いえ、私は特に興味ないんですー。」と云っても誰も信じてくれない。
  本当にもともとそんなに好きじゃないんですよ。
  ただ、どうせやるならとことん盛り上がりたいだけなんです~。

  でも友達に、フットボールが強烈に好きな人が二人いるので、一般的な人よりかは多少、
  いろんなことに聞き覚えがあるのかもしれない。
  リーガ・エスパニョーラやら、メッシがどーのなんて、好きじゃなかったらあんまり知らないもんね。
  
  とにかく!今年のワールドカップは盛り上がることに自分の中で決めたのです!
  折りよく20日から一週間会社が休みなので、遠慮なく毎日見ることにしました。
  これも仕事なのだ!

E 私のチェロの先生がウィーンから日本公演のため、しばらく日本に滞在していました。
  2週間ちょっといたけど、あっという間だったなぁ~。
  なので久しぶりにコンサートに行ったり、一緒に買い物行ったり、先生関係の人たちと
  飲みに行ったり騒いだり、なんだか慌ただしかったけど密な日々でした。
  今度もその先生と私を繋いでくれた方のお誕生日会を企画していて
  (企画と云っても飲むだけだけど)、またみんなで集まる予定です。

  その中のお一人がご自分の介護体験を本にされて、その本がとても有名な賞を
  とったりしたので、そのためのコンサートが開かれたりして、私にとっても普段にはない
  貴重な体験をしました。
  コンサートもチェロも私にとっては日常だけど、要介護の方たちにはそれは非日常な出来事で、
  行きたくても行けなくて、そんな中でみんながそういう方たちのために、と企画したコンサートは
  他にはない、とても特別なあまりにも特別なコンサートでした。
  
  自分からはちょっと連絡取りづらいけど、どうしてるかなぁ~と気になっていた人との再会も、
  それもなんだか嬉しかった。前と変わらずに喋れてたかな、私。

F 森絵都の「ラン」を読んでジョギングを始めた。なんと単純な私。
  ジョギングシューズを眺めていたら欲しくなったので、えいやっと買って、そのシューズを使う
  ために週2、3回ほど近所の公園を走ってます。
  全然走れません。でもいいのです。ちょっとづつ続けます。

G 結局休みが取れなくて「千人のチェロコンサート」のために広島には行けませんでした。
  取ろうと思えば休みなんて取れたんだろうけど、マネージャーになったばかりですぐ休む、
  っていうのが、なんだか出来ませんでした。
  私の代わりはいくらでもいますが、責任は果たしたいので。まぁ、自己満足です。

  でもチェロ友を集めて自分たちでチェロアンサンブルをやろうと、現在企画中です!
  クレンゲルの「賛歌」という12人のチェロのための曲をどうしてもやりたいので、
  まわりのチェロに声は掛けてあるのですが、飲み会ばっかりしててなかなか進みません~。
  そろそろきちんと計画せねば。
  
  そして異動になったためにお仕事がようやく日曜休みになるかもしれないので、
  オーケストラも再開出来るかもしれません~。それはすごく嬉しい。

A 伊坂幸太郎はひととおり読んでいたのですが、先日「終末のフール」という本を初めて読んで、
  それにとても気に入った箇所がありました。
  三年後に地球がなくなるので、みんなどう過ごすかって短編集で、だいたいどのストーリーも
  もうすでに忘れちゃったのですが、ひとつだけボクサーの話しがとっても印象的だったのです。
  記者からインタビューを受けて、それにボクサーが答えたコメントが非常に好き。
  あとがきを読んだら、作者がプロのボクサーを取材した時に思いついたストーリーだ、
  と書いてあって、なるほどと思いました。あの部分だけすごくリアリティを感じたので。  
  伊坂幸太郎の良さはリアリティではない、と理解しているつもりですが、
  あの箇所は良かったなぁ。

  昔友達3人と「あしたのジョー」のどの箇所に一番感動したかについて、話し合った時のことを
  急に思い出しました。
  そういうのって非常に性格出ますよね(笑)。
  
  ちなみに私は力石が死んだ後の、金竜飛との試合が一番感動しました。
  「力石は食べられなかったんじゃない!食べなかったんだ!」←うろ覚え
  とかいうジョーの台詞に号泣。

H 下の子のちびたろうくんが、なかなか頭のいい悪いやつで、とうとう窓を開けることを覚えました。
  何しろ巨大なので重さがあり、鍵をかけてても飛びついて鍵を開けてしまいます。
  なので知らない間にベランダでうろうろしている時が・・・。かなりびっくりします。
  でもかーわいい!ネコライフ最高です。


おおまかな近況報告です。
落ち着いたらまた写真とかアップして記事書きまーす。
その時はよろしくどうぞ。


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誕生日と今年 [日常]

Happy Birthday Wright !!
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うちのちび太郎ことライトくんは3月3日で1歳になりました。
お祝いは特にしてませんが、いつもよりたくさん顔をこねくりまわしておきました。
ちーたろは顔をぐにゃぐにゃされるのが大好きなのです。

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・・・まぁなんというお姿(笑)
上の写真と一緒に載せたら面白いかな、と思って敢えて全然違う写真をチョイス。

8割くらいの確立で私が帰るとお出迎えしてくれます。
残りの2割は熟睡してる時です。熟睡中は揺り起こしても全然起きません。

ところで実は私も先月誕生日でして、31になりました。
今年になって何故か自分の中でもう歳をとっていたので、今年は32になるのだと思ってました(笑)
多分、周りの友達が厄年がどうとか言っていたので、ごっちゃになったのかもしれません。
私は早生まれなのでまだ厄年じゃなかったようです。

大晦日、友達のうちでおばちゃんが作ってくれたお蕎麦をすすりながら、
「何度聞いても厄年が何歳か覚えられない。」と友達に話したら、
「そういう人間に厄年は関係ない。」と云われました。・・・確かに。
で、結局厄年が何歳だったかまた忘れてるしね。私今、前厄?・・・すまぬ、友よ。

今年の誕生日は仕事だったし、前記の友達のことで頭がいっぱいで、
いつの間にか終わっていた感じ。
というか先月2月はずっとそのことしか考えてなかったように思います。
3月入ってコレじゃいかん、と思って今週になってようやく頭を切り替えてます。
そのくらい、自分には人生の大きな出来事でした。

彼女と話しをした後も、私はしばらく彼女の云ったことを考えずにはいられませんでした。
意見のぴったり合う人とばかり付き合っている訳ではないので、
意見の相違というのは宗教に限ったことではないのですが、
彼女と話しをしていて感じるどうしようもない齟齬感は、奇妙で気持ちの悪いものでした。

友達が突き進もうと思っている道を応援したいと思う反面、
それを心から出来ない、というのは初めての体験でした。
他にそんなシチュエーション、今後あるのだろうか?友達の結婚相手に反対するとか?
「うちのこは騙されてるんです!」と泣き叫ぶ母親の気持ちが、少し分かったような気がしてます。

でも、友達は騙されてないんです。自分で決心しているのです。
それについて、私は何が云えるのだろう?何もない。
彼女の孤独が和らぎ、居心地がいいと思っている環境を否定することなど出来ない。
彼女たちにとってそこは、家族以上に家族なのだ。
でも本当の家族に嘘をついてまで信じる真理って、一体何なんでしょうか?

先日『孤独の科学』(ジョン・T・カシオポ、ウィリアム・パトリック著)という本を読みました。
その本によれば、孤独が健康に与える影響は喫煙や肥満、高血圧に匹敵するとのことでした。
更に面白い、と思ったのは、孤独感の低い幸せな人の方が孤独を感じる人に比べて
お金をより多く稼ぐ傾向にある、との記述。
そうかも、と思いつつ、言葉にして読むと凄みがありますね(笑)

友達が大学時代、孤独を感じていた時にカルトに出会ってしまったことは、
不幸であったと云えると思います。彼女にとっては「救い」であったことも分かる。
人は誰かに「認証」してもらいたい、と思って生きています。
家族であったり、恋人であったり、上司であったり、そして「神」であることも。

相手が神様の場合、相互確認がとれません。
でも宗教の凄いところはそこなのだ、と今回、強く思いました。
「確認がとれない」と云うのが宗教の大事なポイントなのですね。
だから「信じる」ことが重要で、「信じる」しかないのです。

もしかしたら本当に本当に、彼女の云うことが正しいのかも知れません。
本当に、彼女のいる団体は迫害を受けているのかも知れない。
本当に、私は教義を聞きに行かないことで地獄に落ちるのかも知れない。
本当に、終末に彼女たちだけ助かって、私は助からないのかも知れない。
どれも絶対に違うとは云えません。

でも少なくとも私は、
親に嘘をついてしまったら「悪い」と思います。それを「正しい」とは思いません。
自分が信じているものを友達が信じなかったからと云って、友達を憐れみません。
私が友達に関して嫌だなぁ、と思ったのはそこだと云うことに行き当たりました。

団体にいると「信仰」そのものが「執着」になる気がします。
それは本来の「信仰」から最も、かけ離れたものではないのでしょうか?
団体で祈る意味って、一体何なんだろう?

昨日今日で「1Q84」を読み返しました。
去年の5月に出版されてからこれで読み直すの5回目です。
「海辺のカフカ」「アフターダーク」に続いての長編。
「おかえりなさい!」と手を広げて抱きしめた、「春樹」らしい小説でした。
この本のテーマの軸となっているのはまさに「カルト」。
春樹はきっと私のために書いてくれたのに違いない(笑)

今回読み直してカルトについてひどく得心した言葉があります。

「狭くて小さなものの方が、外からの力に対して強固になれます。」

これってカルトに限らずだけど、そうだなぁと思いました。
続編が来月発売に早まったそうで、今から続きが楽しみです。
ブラームスと同じ時代に生まれることは出来なかったけど、
春樹と同じ時代に生まれたことで、私の人生、なかなか悪くないと思えます。

いつまでも、彼女の道に囚われてはいけない。
多分、彼女の方がよっぽど前向きに、自分のやるべきことをきちんとしているのだ。
私は私で自分のことをしなければいけないし、もし、彼女の手助けが出来る日が
来た時にも備えて、ちゃんと元気出さなければ。

まず、私がやろうと思っていること。
再来月の5月、「1000人のチェロ・コンサート」に参加しに、広島に行く予定です。
先日初練習に参加したのですが、練習会場の最寄り駅に降りたら、
電車からチェロが一斉に降りてきて笑えました~。
チェロを弾いて平和を祈る、というのはいい考え!ですね。

ただ広島へチェロを担いでどうやって行くかを今悩んでいます。
もう一席分とか交通費を払いたくない。誰かいい運搬方法、教えて下さい。
そして一人旅は高いので5月14日(金)~5月16日(日)に一人旅をしたい方、募集です。
ルームシェアしましょう(笑)私はチェロ弾いてるので、その間観光してて下さい。
そしてコンサートにご興味のある奇特な方、ご連絡お待ちしております。

最近思ったこと [日常]

前回の考えていたことに対する、自分の結論について。
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テーマが重いのでまずは、うちのにゃんこたちで和んでいただくことに。

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結論としては結局何も出来ない、という始めから予測していた結果となりました。
それでもその友達と話しが出来たことは、自分にとって、そして彼女にとっても少しは、
意義があったのではないかと勝手に思います。であったと望む。

終始「説得」はしませんでした。
説得が自分に出来るとは思わなかったし、むしろ話しがこじれるだけに思ったので、
ただいくつかのことを確認しただけです。

特にこの2週間、真剣に彼女に何を云おうか悩んでいたのですが、
最終的には、自分の立場で何かを彼女に発信するしか出来ないなぁと思いました。
彼女のために、彼女のことを思って、なんて意見はやっぱり傲慢だし好きじゃない。
「何かをしてあげる」って傲慢な考えじゃなく、自分の疑問を提示しつつ、
同意すべきところは同意して迎合は決してしない、というスタンスを心がけました。

何度ここがなんば花月なら良かったのに、と思ったことか。
「なんでやねん」の「な」が何度ものど元まで出掛りつつ、約3時間の話は終了。

結局、彼女はほとんどのことは既に知っていました。
それがいいことでは決してなく、むしろ知らないでいてくれてた方が、
考え直してくれたかも知れないけれど、知っていて覚悟の上でその団体にいるようなので、
私に云えることは何もありませんでした。
ひとつ心残りは云うべきか云わざるべきか迷って、結局云わなかったことがあること。

団体名を云わないで勧誘するのは「詐欺」だよ。

私はそう思います。でも云えなかった駄目な私・・・。

今回私がたまたま気づいただけで、彼女の口から団体名を教えてくれたことは今までありません。
以前団体名はない、と云っていて、それも全くの嘘ではないことは知っているけれど、
でもどういう団体かを説明はしてくれたことはありませんでした。
そもそも最初に誘われたサークル活動では、宗教団体であることすら云わなかったし。

「云ったらみんな来ないでしょう?」と云う理論はあり得ませんよ、ぞなもし。
私は「今まで云わなくてごめんね。」くらいの発言を少し期待していたのですよ。
看板出さないで勧誘している、ってことがどういうことか、分かってるのかなぁ?

共通の知人に彼女の話しをしたところ、「でも彼女自身は悪いことしてないし。」と云っていたけれど、
私はそうとも云えないと思いました。
信教の自由は憲法でも保証されていることだけど、看板も出さず宗教だとも云わずに勧誘するのは、
勧誘される側の信教の自由を侵害しているのでは、と今回思いました。

その知人はとても物事をはっきり云う人なので、それは受ける側にも問題があるとの考えで、
それも理は実にあるけれど、そうも出来ない人も多いしねー。
私なんて今日こそは!と決心してきっぱり断ったこと四度もあるのに、
昨日も最後には「また来たくなったら来ればいいよ」と云われ、ぎゃふんと思いました。
にっこりと「地獄に落ちるよ」と云われても、私はもう行きませんヨ!

でももしかしたら、彼女と会えるのはもう昨日で最後だったのかも知れない。
私と会ったことや、私がその団体のことを知っているということを、彼女はメンバーに話すだろうし、
そこで誰かに私と会うことを止められるかも知れないし、また彼女自身がもうやめようと思ったかも。
彼女たちにとって「救い=組織に入る」だから、それを断ったサタンにとり憑かれた人たちのことは、
多分、もう興味がない気がする。

本当に一人でも多くの人を救いたいと思うのなら、その団体にまつわる事件で傷ついた人たちを
まず救ってから、それ以外の人のところに来てくれい。
という結論に最終的には至った私。

世界中に拠点があって、それに例え全部行ったところで、自分たちの団体を反対する意見を
無視しているようじゃ、世界が広がったことにはならない、ということをいつか、
彼女に伝えたいと思っています。
それは迫害じゃ、ないんだよ。

今回話しが出来たことで、今後もし彼女がその団体に疑問を持ち始めることがあったら、
もしかしたら私を頼って来てくれるかもしれない、と今はそれだけを願うのみです。
それくらいしか、今のところ何も出来ません。

そして何より、彼女が実被害にあうことがありませんように。
私は彼女とは違った方法で、そのことを神に本当に本当に、祈ります。

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最近考えていること [日常]

最近のももとライトですよ~。
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まだ旅行記が終わっていないのですが、少しお休み。

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少しだけ、今考えていることを書きたいと思っています。


いつかこの問題については、きちんと向き合わなければならない、と思っていたことがあります。
ちょっと物騒な話しになったら、ごめんなさい。

突然ですが、私は、宗教心はあるけど宗教家ではありません。
神様を信じてはいるけど、どこにも属していないし、今のところ、どこにも属す気はありません。
私はほとんどの日本人がそうだと思っています。

よく「日本人は無宗教だ」と云われるけど、そうでもないように思います。
ただ海外の一般的な「宗教」という枠組みに当てはまらないだけで、
今でもお店で神棚を見かけるし、仏壇があるうちはたくさんあるし。
うちの母も宗教家ではないけれど、毎日のように仏様にお線香をあげています。
ご先祖様を敬う気持ち、それが日本の神道の基礎だと思うし、
日本人の考え方そのものが仏教や神道、あるいは儒教から培われたものであることを考えれば、
まったくの無宗教ではないのでは?と思うのです。
そこにあるのは形骸化されたもの以上に、習慣化されたものが多く、
それと気づいていないだけ、だと思っています。

ただ、それは確かに宗教家ではない。
もとになる教義があり、それを行い続けることが宗教家なのだから、私は間違いなく違います。
でも宗教に興味がある分、私はいつかどこかに属するかも、と思っていたことがあります。

お寺、神社、教会、モスク、シナゴーク、なんでも好きで、実際よく行きます。
まだ途中だけど坂東札所巡りしたり、四国でお遍路もやってみたいし。
説法を聞きに行ったり、礼拝に参加してみたり、持ち前の好奇心で割りといろいろ行きました。
でも前々から不思議だったことがあります。

信者の人たちは、どうしてその宗教を選んだか、ということです。

いろいろと説法を聞いたり本を読んだりしていると、どの宗教も根底にあるのは大雑把に云えば、
同じようなものです。
どの宗教にもいいところがあり、良くないところがあり、いい指導者もいれば、逆も大いにいる。
なので、選択肢がありすぎて私には選べないのです。
(いや、別に無理に選ぶ必要はないのですが・・・。)
決定打をどういう風に、どこで見出すのだろうと、とずっと疑問だったのです。

でも今はその疑問そのものが、多分、違うような気がしています。
どこの世界にもその限られた一生で、あらゆる宗教の教義を吟味し、体験し、
取捨選択出来る人などいないのでしょう。
まして、次々と出来る新興宗教、自己啓発セミナーの類をいれたら、それは不可能です。
私はそれに近いことをやろうとしてたんだなぁ、と思います。
それに実に気がついた出来事があり、そして今も、直面していることがあります。

友達が、いわゆるカルト宗教の信者だということが最近わかりました。

何人かの友達には以前より、その彼女のことを話したりしていたので、
やっぱり・・・と思う方が、これを読んでくれた人の中にいるだろうと思います。
私はそうじゃない、と思っていたので、否、信じたかったので、
まわりには「変な宗教じゃないから大丈夫だと思う」と云っていました。
でも実際は、よりにもよって・・・というところでした。ホントに衝撃的。

団体名や何系かは書かないでおきます。
もしかしたら私に近しい方の中に、他にこの団体に属している人がいるかもしれないし、
あるいは偶然このblogを信者の方が見て炎上したらコワイし・・・どきどき。

でもはっきり云えるのは、私は「宗教だから」と眉をひそめるタイプの人間ではないし、
むしろ宗教が好きで、誰かわかりやすく教えてくれないかなぁーと思っている人間です。
その私がここはちょっと・・・と思ったところなので、よっぽどと思ってくださいな。

そもそもが「誰かわかりやすく教えてくれないかなぁー」と私が口に出して彼女に
云ったことが仲良くなったきっかけだったので、きっかけを作ってしまったのは私です(笑)
なので今後はもっと気をつけねば、と思ってます。

どのカルトも末端の人たちはとても純真であるように、彼女もとても素直ないいこです。
私は彼女の団体の教義の勉強会やパーティーに頻繁に誘われ、何度か顔を出していますが、
顔を出す度にいろんな疑問が出てくるし、彼女自身に会うのも結構パワーが要るので、
もう随分と丁重にお断りしています。
でもそれでも何度も誘うその行為はまさに「勧誘」なのですが、彼女に自分が「勧誘」を
している自覚があるか、それすら疑問です。
彼女は自分がいい!と思っているものを私に「勧めている」だけなのです。

でも不思議なことに、私自身も最初、それを「勧誘」と思っていなかったと思います。
そういう方法、良くない言葉で云えばそういう手口だった、と気がついたのはずっと後です。
私は何かをしてもらった分、自分も何かお返ししないと、という「好意の返報性」という
マインドコントロールによく使われる手法に、すっかりはまっていました。
けれど彼女自身が、そういう手口で勧誘しているという自覚がない分、
私が感じるのは彼女からの「好意」だけなので、友達だから信じていたのですね、私。

どのカルトの脱会者もよく云う「まわりの人たちがみんないい人で・・・」というのは、
本当にそう。身を持って体感しました。
なので彼女が紹介してくれた人たちや、何よりその友達にとてもお世話になったことがあるし、
感謝していることはたくさんあります。
でもその「お返し」にその団体に入会することは出来ないのです。

出来ない理由はたくさんあります。
その団体が起こした事件も理由ではあるけれど、それよりも何よりも、
その団体にいる価値を私は見出せなかったです。

私の友達はその団体に入信したおかげで、たくさんの友達が出来て、いろんな人と出会って、
自分の世界が広がった、と私に云っていたけれど、私にはそうは思えなかった。
むしろ逆だと思いました。
同じ思考を持った人たちと毎日のように顔を合わせていることが、世界が広がることかなぁ???
とそれはもう、初めから疑問でした。
しかもその世界は初めから用意されたもので、決して自分で得たものではないのでは?
とも思いました。
自分が自分の意思で選んでると思いながら某かに誘導されてる、
ということがカルト宗教の恐怖なのでしょうね。

ここしばらくずっと、その団体の起こした事件と、ある教義内容について、
彼女が知っているかどうかを聞こうか迷っています。
もし彼女が知っていてそれでも入信しているのなら、私は何も云うつもりはありません。
彼女の選択であり、彼女が選択しなければいけないことです。
でももし、知らないで入信していることを考えると、教えた方がいいのでは、と思います。
彼女はその団体では本当に末端の人なので、知らない可能性が高いのです。

ただ、彼女のこれまでの価値やアイデンティティが崩壊した時に、それをケアする覚悟がないのなら、
何も云わないほうがいいのかも知れないとも思います。
でも彼女とこれからも付き合っていく以上、ずっとずーっと直面する問題です。

はっきり団体名が分かった今、彼女とじっくり話し合わなきゃいけない時かなぁ、と思います。
もう会えなくなることも覚悟で・・・。

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