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偉大 [映画]

 先日「マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して」を見に行きました。
風邪薬を飲んで見に行ったので途中意識が朦朧としたこともあり、上映している期間中に、
是非とももう2・3回は見に行こうと思っています。
というのが見終わった今でも、どの言葉が適切なのか、なかなか思い当たらないのです。

ルイス・カーン(1901-1974)は戦後のアメリカを代表する、現代建築の巨匠です。
彼の建築をひとつでも見れば分かります。
彼が実に「偉大」な建築家であることが。

劇中でもルーブル美術館のガラスのピラミッドで有名なイオ・ミン・ペイが云っていますが、
「建築は50年後にはどうなっているか?これが尺度だ。」の台詞はまさに同感です。
J・F・ケネディ図書館など数多くの建築物を残した彼が、「数が問題ではない」と言い放ちました。
「自分はカーンより少しばかり我慢強かっただけだ」と。

建築ほど結果、他人に寄り添う芸術はないと思ってます。
その中で暮らし、その中で時を過ごすのです。
そんな芸術品は他にありません。
だからこそ、芸術でなり得なくなりやすい。
そういう意味でカーンは真の芸術家であったことが、この映画を見てよく分かりました。

この作品はカーンの2番目の愛人の息子ナサニエルが、
「映画監督」として「息子」としてルイス・カーンという人物を記録したドキュメンタリー映画です。
11歳の時に駅のトイレで死んでいった父親を受け入れる旅に出るために、
この映画はありました。

愛人の息子として育ち、殆ど時を同じくしなかった父の人物像。
それを追い求めるこの記録は、ただ単に記録映画として分類されるものではなく、
非常に「愛」に溢れた映像で、その見終わった後の最後の言葉が、
今の私にはうまく表現出来ないのです・・・。

カーンと共同に仕事をした同僚のカーンへの「愛」。
カーンの血縁者として「偉大な建築家」を親類に持った者の複雑なカーンへの「愛」。
カーンという一人の男を信じ、傷つき、それでも愛してやまない女たちのカーンへの「愛」。
偉大すぎる父を持ってしまった子供たちの父への「愛」。
そして、カーンの「建築物」を愛する人々の何よりの「愛」。

そうした様々な愛の形や、その愛を受けて創造されたカーンの建築物がスクリーンに
映し出された時、私に云える言葉は何もなかった・・・。

ただただ、カーンの建築物を実際に一目でも見ることが出来れば・・・と切に願ってやみません。




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namazu

はじめまして。コメントありがとうございました。
いたちたちさんのブログ、拝見いたしました。毎日積極的に活動されているご様子、敬服いたします。
by namazu (2006-05-16 07:13) 

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